何十年かぶりに、姉と2人きりで外出をした。知的障がいがある姉だったので、どうなるかと思ったが女性としての成長を終え精神と体のバランスが取れてきたのだろうか、乱れることなく昔の頃の様な笑顔と佇まいで車の座席に鎮座してくれた。
車の中で季節の話をしたり、お花の話をしたり、他愛もない話をしているうちに、自分の心の中で押さえつけていた様々な感情が溢れんばかりに出て来てしまい涙が止まらなかった。
彼女の余りに無垢な姿、44歳とは思えない肌の美しさを見ると、私が幼稚園の時に見た姉がそこにいた。永遠に変わらない彼女を見ると、何とも言い知れぬ感情が巡ってしまったのが原因だ。自分は時が経ち、歳を取ってしまっているのに、彼女は何も変わっていなかった。自分が長い間、彼女と向き合っていなかった証拠でもある。理由をつけて、ずっと母任せにしてきた。
今回、2人で外出した目的は、理由があって違う場所で暮らす父と水入らずの時間を過ごしてもらう為でした。もう10年は姉と父は会っていない。
父は姉を一目見るとを人目を憚らず号泣しぱっなしだった。悪童であり、手が付けられなかった父も、会いたくても会えなかった娘に一目会えて、余程嬉しかったのだろう。ずっと泣いていた。見るに堪え無い程、痛々しく、また愛情に満ち溢れていた。姉はそこでも5歳児の頃の無邪気さを微動だに変えないのがとても印象的だった。
様々な業を背負っていた父も今は会社経営を終えて、ゆっくりとした時を過ごしている。今だから、彼も娘と向き合えるのだろう。そう感じた。
親子水入らずの時間を作る為、僕は姉を父に預けて外出した。横須賀の街をひとりぶらりと散策していた。父と姉は2人で字を書いたり、散歩をしたり、他愛も無い時間を過ごしていたようだ。10年近く会っていなかったが、姉も父と会えてとても嬉しそうにしていた。自分自身は障がい者を身内に持つことに恨みばかり持っていたが、今回の件を経て、姉がいて良かったと心から思えた。
恨むべきは病気であり、父も母も姉の為に懸命に生きてきたことが今回の件で、理解出来た気がした。
滞在時間は3時間程度だったが、父は満足していたようだ。私が父の自宅に戻ると抱えきれない大きさのぬいぐるみを2体も買ってあげていた。僕も散策中に小さなぬいぐるみと本を買ってあげたのだが、2人で同じことを考えていたことに互いに苦笑するしかなかった。
その他には、お菓子を食べたり、一緒にご飯も食べたようだ。3時間の間に今迄出来なかったことを埋めるかのように・・・。
帰り際とても寂しそうだったが、男同士の約束を交わし、父には我慢してもらった。今は彼の気持ちが良く分かる。僕も歳を取ったのかな・・・。
「介護の森」とせずに「福祉の森」としたのも、いつかは障がい事業をライフワークにしたいという想いがあったからだ。
今後、自分のライフワークで姉の為に何が出来るのか、兄弟に障がいを持つ人を助けることが出来ないか、今後の人生の中で挑戦してみようと思う。
好きなことを仕事にしろと良く言うが、付け加えると、自分の人生で影響があったことや、根っこにある部分を仕事にすることも、歓喜や熱狂する仕事に変えることが出来るかも知れないと思う。
「人間は死ぬ時が一番の幸福なのかも知れない。生きている間は罰を与えられ、苦しい日々の連続なのかも知れない。」
ビートたけしさんが雑誌で述べていた内容です。(若干アレンジして書いてあります。)
人生の尺度を「幸せや楽しさ」にしてしまうと、今の環境は全く楽ではない。でも、苦しさが当たり前で苦しさを乗り越えることよって、誰かの生活の支えや役に立っているのであれば、これ程嬉しいことはない。苦しさがあるから、歓喜や熱狂が出来るのだと僕は信じている。楽しさからは歓喜や熱狂や決して生まれないし、人間の成長も無いのだと思う。七難八苦バンザイである。死より怖いものはないのだから。