職業柄、圧倒的に人から相談やイライラをぶつけられるケースが多い。自らが吐露し、嫌な部分を露悪することの方が少ない。仮に話しても理解が得られないし、相手からして見れば、立場上、言いづらいケースが多いからだ。
行き詰まりや、悩みの隘路に入り込む場合には、どうだろう。大抵の場合、視野狭窄に陥っているケースがほとんどだ。
結局のところ、お酒を飲んだり、旅行に行っても気分が晴れないのは、視野が広がらないからだろう。一時的に開放的になってもまた現実は朝の光と共に我々に照射するからだ。
僕の持論では自営の創業者や作家は、ろくな生き方をした人がいないというのが持論だ。そういった人達の生き方を参考にすると自分の悩みなんて何て小さいんだと思ってしまう。中上健次、森瑤子等(小説幻冬に森瑤子の半生が連載されている)、世に作品を出すために、とんでもない人生を歩んでいる。その歩みを本にぶつけない限り、彼らは生きることが出来ないと思う位だ。だからこそ作品が光り錚々たる作品が出されるのだ。
僕は追体験をし、作家の生き方を知り、自分の悩みをどこかで飲み込んできた。心がクラッシュしないのは本のおかげでもある。
父親が会社を営んでいたので、幼き頃より生活に困窮したこともあった。母と度々銀行に行った記憶があると思っていたら、実はそこは質屋だったなんて。数多のケースを見てきたせいか、視野狭窄にならずに済んでいるのかも知れない。
昔は戦争があった、争いがあった、生きるか死ぬか、そんなときに嘆き悲しむ暇はない。世の中が平和になり、成熟した証左なのかも知れない。
残念ながら経営者は常に薄氷を履む人生なので、寧日が無いのだ。悩みは少なくとも、日々、苦しいのだ。筋トレを毎日している感覚に近いかも知れない。