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勉強会(某IT企業にて)

昨日、日本橋にて障がいとITに関しての勉強会に出た。グーグルの元副社長様やシリコンバーレーのCEOの方も審査員??として参加していた会でした。
内容を知らずに出たので、コンテスト形式の勉強会だと知ったのは当日・・・。それで審査員の顔ぶれも納得。

障がいの勉強や人脈作りで参加しましたが、学びもあり、人のつながりも出来ましたが、内科の診察をして欲しいのに、外科の診察を受けにいってしまったというのが正直な感想でした。異業種交流会的なノリのハイテンションな人も多く、とまどいを隠せないまま、終了しました。

下肢が不自由な方や視覚、聴覚不自由な向けの勉強会でしたので、私の姉の様な知的障がいはカテゴリーにはなく、同じ障がいでも雰囲気が全く違うことにびっくりしました。このカテゴリーでは、若い女性が中心となり『車椅子ガールズ』が結成されていたり、前向きに生きている人が多くいることに感激するとともに、姉の様な障がいはやはり、闇が深く、同じ障がいでも難しいカテゴリーなんだなと再認識させられました。

自力で生きて行きたい人が多いジャンルの為、介護タクシーを利用することもなさそうでした。姉のカテゴリーは介護と重なる部分が多いので、当社の事業シナジーが逆に活かせそうだなとしみじみ感じ、日本橋を後にしました。

岩波文庫

岩波文庫の本の終わりにはこんなフレーズが書かれている。

『今や知識と美とを特権階級の独占より奪い返すことは常に進取的なる民衆の切なる要求である。岩波文庫はこの要求に応じそれに励まされて生まれた。』

読書がごく普通に出来る現代の環境に感謝。


身の丈

ロッテから戦力外通告を受けた京大卒の田中投手が以前、内定をもらっていた商社へ就職するそうだ。第2の人生の方が長いので頑張って欲しい。

同じ京大卒で言えば、ロザンの菅さん(京大でなく、某有名国公立らしい)の『身の丈にあった勉強法』(幻冬舎)を立ち読みした。相棒の京大卒の宇治原さんは高校時代のお友達だそうだが、モノが違ったそうです。遺伝により、身長や身体能力もある程度決まっているのであれば、知能もある程度決まっているのだなと宇治原さんを見て悟ったそうです。自分の身の丈にあった生き方が大切であり、その方が生きやすいということを書かれていました。

5分程度しか読んでいなかったのですが、同感でした。がんばれば報われるという根性論が勉強にはつきものですが、スポーツと同じで限界があると僕は思います。今、幼児から、ごく普通の家庭でも、多額の費用をかけて教育していますが、ハマらない子供にとっては僕は無駄な投資だと思っています。

ガリ勉になればそれなりの学力になりますが、失うものも大きい。元々自分が勉強が出来ないのに、子供に無理強いさせるのは道理に合わない。子供に限界を決めるのはおかしいと反論が来そうですが、今の自分を差し置いて、多大な期待を掛ける方が間違っていると僕は思います。もし、勉強させるなら自分も一緒に勉強する位の気概がないと子供は単なる親のコンプレックスのはけ口になる。相対的に親の学力と子供の学力が比例するのも、能力があるから年収も高いからではないだろうか。能力が第一前提であり、年収の多寡ではない。

浪人中に、どうしても慶応に行きたいというクラスメートがいましたが、すさまじく勉強をしていましたが、2浪しても地方の無名私立大にしか受かりませんでした。慶応は親の希望だったのだろうが、授業についていけない姿が可哀想だった。子供の数が200万にもいた時代で大学受験が大変だったからと言う人もいますが、単に能力と学力が無かっただけの話。誰よりも勉強していたはずだが、誰よりも学力が足りなかったのを身の丈として知っていれば違った人生もあったはずだ。

予備校も合格体験記で一年で偏差値が30上がったとか誇大広告に近い宣伝をいましたが、大抵、超有名高校の合格体験記だったので、伸びシロがそもそも違うと僕は半ばあきらめていましたが、皆、それを読んで夢を見ていたようでした。早慶を目指していた、その他の僕の同級生も、1浪、2浪しても中堅私大に何とか入るのがやっとでした。知能と言う才能や積み重ねが必要な勉強を1年や2年で一気に埋めようなんてことはウルトラCに近いことだと誰も理解出来ないのは、根性論や平等という言葉が一人歩きしているなと感じていました。どこかで割り切る必要を教えるべきだと思う。


僕は身の丈を何となく理解していたので、大学の就職活動では中堅商社に潜り込んだ。それでも、一部の同期や先輩の学歴や能力が自分の身の丈以上に感じた時に、どこかで自分の能力を割り切ってしまい、自分らしさを求めて起業した。

僕は小学生の頃から出来は良くなかったが勉強や読書が好きだった。自主的に今でも読書や勉強をしている。その習慣が続いているのは、単純に読書や勉強が好きだからだ。好きという才能なのかも知れない。

能力の有無や高低ではなく、勉強や読書好きというのが才能だとしたら、納得がいく。習慣や環境だけでは乗り越えられない何かが人間にはあるのではないか。菅さんの著書からはそんなことを感じた。



慈愛

新渡戸稲造の「武士道」を読んでいると、リーダーとして慈愛を持つことが必要だと切に感じてしまう。アングロサクソン系では、慈愛よりもいかに服従させるか、マキュベリやカエサルの様な考え方が必要だと第一に考えるのだろう。貞観政要に登場する唐の皇帝太宗も常に慈愛の心を持つために、諫言を受け入れていた。アジアとヨーロッパの考え方の違いを改めて感じてしまった。

世の中は成果主義だ、利益還元だと騒ぎ立てているが、日本人にはどうも合わない気がする。明治維新により急造で西洋化をしたが、封建主義が長すぎたせいか、心で動きたいという感情は僕の中からは消えない。夏目漱石がイギリスに留学したのちに、英語ではなく日本語で小説を書いたのは、日本人としての矜持が彼の中から芽生えたのではないかと僕は思う。日本を憂い、精神薄弱を患っていたのは有名な話だが、英語を学びに国費でイギリスに留学した人間が、文豪と言われるようになったのは不思議な感じがした。

日本人らしさを忘れてはいけないということを「武士道」が改めて教えてくれた。


その後

先週より姉と父の同居生活を開始させました。30年以上も姉の世話で疲れ果てている母には、少しでも休養を与えてあげたかったのと、限りある時間の中で、愛情を与えてあげたい父の想いをくんで。

父は所謂、〇縁の女性と暮らしていますが、姉にとってやさしくしてくれる人であれば、たとえ、世間では許されない関係の人でも僕はOKだと思いました。
当然、母とは大揉めになりましたが、憎むべきものは、姉の病気であり、いつまでも、父のことで気を病む必要は無いと、僕の責任で納得してもらいました。

母は途中から疲れ果てて姉の世話を投げ出していました。(内容はここでは書きませんが)父も無理矢理、施設から連れ出すのは良かったが、全て母に丸投げ状態でしたので、姉と暮らす覚悟と責任が伴っているとは言い難かったかも知れません。

中世の歴史なんて見ると、飢餓になれば、生まれたばかりの子供を川に流したりなんてことが日常茶飯事でした。今はとても人間は文明的な生き方をして、倫理的に素晴らしいなんて、皆、勘違いしていますが、追い詰められてしまうと、結局、自分を守ってしまう・・・。

ともあれ、障がい者をないがしろにしてしまう様な事案は起きやすいことなんです。介護には終わりがあるが、障がいは果てしなく続く・・・、そうなると絶望してしまう。相模原の事件は許されないと言うのは簡単だが・・・、絶望から隔離する為に、そこに置かれてしまった障がい者だって多くいたはず。

そんなことを何かの形で発信していくのが、僕に課せられた宿命なのかなと最近感じています。考えてみると僕が幼稚園児の時から御世話を開始しました。あれから35年です。35年間一日たりとも、この運命を忘れることが出来ませんでした。であれば、その運命を丸ごと背負ってしまった方が良いのかなというのが現在の心境です。









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